大津祭り
今日は大津祭りの当日! 久方ぶりに朝から、チャリで出かけて来ました。
旧の東海道を下ります。^^^^^^^^
旧大津市街に入ると、街中は何処も、幔幕を張り、お祭り気分をあおります。
此のお家は
湯立山 の元締めさんの様です。
玄関内は、緋毛氈を敷き、綺麗な由緒有りそうな 扇子とお皿 を並べていました。
歴史を感じます。 山は この時間街中を廻っている様で
家の内はヒッソリとしていました。
遠くから、チャンチキチン の音が聞こえてきます。
此処は大津駅から下ってきた大通りです。
沢山の山が 天孫神社に集合中でした。 中々 雅なものでした。
此処からは、大津市役所までひとっ走り^^^^^^
途中 長等神社に寄り
9月29日にもアップしましたが、 上は
タラヨウ の実
下は
イヌガシ の 今日の実です。
半月近く経っているのに、余り色は変っていませんでした。
どちらも真っ赤に成る筈
追跡しますので、お楽しみに^^^^^
是は境内の様子。
市役所前で、引き返し 疎水の景色です。
手前に 桜 奥には 紅葉がうっすらと色付き始めているようです^^^^^^
街道沿いの
義仲寺 です。
大津の歴史を見る上で、どうしても外せない処です。
法傳寺 と言います。
大友皇子 の子孫の 大友さんが住職をされています。
歴史を感じさせてくれます。 以前 企画した
壬申の乱伝承の地歴史ウオーク
で、大友さんにはお世話になりました。
石柱には 天智天皇御尊牌奉安 とありました。
壬申の乱で争ったのは、天智天皇の息子の 大友皇子と、 天智天皇の弟である 大海人皇子が争った戦いで
近畿一円に拡がり、最終戦は 瀬田唐橋辺りで終わりました。 勝った 大海人皇子こそが、
後の 天武天皇です。 そして彼が 日本書紀を編纂させ、大友皇子は 歴史から抹殺させていました。
明治の時代になり、歴史の見直しが行われ、
弘文天皇 と認められ
大津市役所の裏に 弘文天皇陵が築かれ、静かに眠って居られます。
因みに 大津京は天智天皇が 遷都された短いですが、都 でした。
長々と、説明しましたが、お読み戴き有難う御座いました。
今日は此処までと致します。
関連記事